●テツガク的な話題が〈楽知ん〉になる 仮説実験授業は,「(つまらない)理科の授業を(小手先の技術で)たのしく教える方法」じゃないんです。「もともとの科学研究が,たのしくないはずがない。だから科学の原点に帰れば,かならず楽しい授業ができる」という見通しにたってできた授業です。だから「仮説実験授業」を知ってしまうと,「教えたり教わったりすることのたのしさを,もっとみんなで共有したい」という気持ちを押さえきれなくなってしまうんですね。でも,そういう楽しさは何も科学の授業ばかりじゃない。「ものづくり」だって,音楽だって,ほかにいろいろありそうなものです。 「たのしい話題」といっても,特別な人だけにウケるというんじゃさみしいです。そういう話題は「他人ができないことが私だけにはできる,他人が分からないことが私には分かる」っていう,なんか〈くら〜い喜び〉になってします。そうではなくて,家族にも,いや,とおりすがりの見ず知らずの人にでも「知ってよかった。ほかの人にも教えてあげたい」と思ってもらえるような話題にボクは関心がある。もしそんな話題があるなら,それこそ世界中の人と仲良くなれるんですから。でも,人の興味や関心はいろいろですから,「誰でもが関心をもつ話題」というのは,いきおい,どっか根っこのところで,哲学的な内容をつながったものにならざるえなくなります。じっさい,科学研究も,とことんつきつめれば「この宇宙のなりたちやしくみのナゾを解きあかす」っていう自然哲学につながる話ですよね。そういう話題は一人占めできるものじゃないし,一人で探せるものでもない。やっぱり遠慮のないことの言える仲間がいないと,楽しくない。それに,他の人にウケものかどうか,どうやったらもっとよく分かってもらえるか,なんてことは仲間がいないと研究できないわけです。 けっきょく〈楽知ん研究〉とは,「だれにでも楽しめるような話題を,仲間といっしょになって,探したり,調べたりすること」だと思います。衣服や建物は,だれかの手に入れば他の人は使えないし,使っているうちにいつかなくなります。でもたのしい知識は,誰とでも共有できるし,永遠になくなることもありません。「知ることの楽しさを共有する」なんて,人生で最高のあそびですよ