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〈楽知ん〉と私

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〈楽知ん〉と私
小出雅之

 私と〈楽知ん〉との出会いは,1993年の1月のこと。旭川仮説サークル の野戸谷睦さんから,「楽知んMEMO」を紹介されたのが始まりです。


●野戸谷さんの資料発表

 私が仮説実験授業を知ったのは90年の10月のこと。それ以来,〈仮説実験授業をして,その記録を書く〉ということを続けてきました。授業記録を書くと,授業を2倍も3倍もたのしめるので,すっかりはまっていたのです。毎月のサークルでは,もっぱらその授業記録(通信)ばかりを発表していました。

 しかし,野戸谷さんの発表する資料は,私のものとずいぶんとちがいました。問題と予想選択肢があるのです。仮説実験授業の授業書と同じスタイルになっているのです。サークル参加者はいつも数人なので,気楽に質問したり意見をいうことができ,その発表を十分にたのしむことができました。ない知恵を総動員して予想を選択し,討論し,結果に驚いたり感心したり……。私は,野戸谷さんの発表する〈仮説実験授業みたいなもの〉を,いつもたのしみにしていました。



●どうしてできるの?

 最初はたのしんでばかりだったのですが,いつしか「野戸谷さんはどうしてこんな発表ができるんだろう?」と思うようになりました。でも,さっぱりわかりません。〈仮説実験授業をして,その記録を書く〉ということなら,内容はともかく,やり方がはっきりしているので私にも書くことができましたが,野戸谷さんのスタイルは,どこからどうやってマネしていいかもわからないのです。でも,「私も野戸谷さんのような発表ができたらいいなぁ」という思いは,日増しに強くなっていくばかりです。

●「楽知んMEMO」

 そんなとき,野戸谷さんに紹介されたのが「楽知んMEMO」でした。サークルで野戸谷さんに見せてもらい,その内容のあまりのたのしさに,すぐに宮地さんに連絡して定期購読を始めました。といっても,1993年1月号は通し番号で13号。「あと2号で終了です。それでもよければ……」という宮地さんのお手紙に,「なんでもっとはやく出会わなかったんだろう」という気持ちを押さえきれませんでした。しかし,これが私の楽知ん研究の始まりだったのです。

●たのしい知=楽知ん

 「楽知んMEMO」には,ノーミソをブルンブルンと刺激する楽しい知(=楽知ん)がギッシリつまっていました。レポートのスタイルも,〈仮説実験授業みたいなもの〉ばかりではありません。表紙タイトルの上に「道楽として科学を楽しみたい人々の」という一文が書かれているのですが,学校の教員という立場とはまったくちがった「フツーの人」を相手にしたものなのです。私は,学校の教員ではありましたが,純粋に「フツーの人」として,この「楽知んMEMO」にはまっていきました。「楽知んMEMO」購読以来,サークルになると野戸谷さんとふたりで,「楽知んMEMO」や宮地さんの話題で盛り上がるようになりました。

●マネのしかたを研究

 ほどなくして,野戸谷さんから
 「今まで板倉さんのマネをしようといろいろやってみたけど,なかなかマネできないね」
と,意外な言葉を聞くことに……。私からしたら,野戸谷さんは板倉さんのマネを上手にしているなぁ,と思っていたのですからビックリです。さらに野戸谷さんは続けます。

 「それでね。板倉さんのマネをして成果をあげた人から,〈マネのしかた〉を学んでみたらどうかなぁ,と思っているんだけど……」

 うんうん,それはステキな思いつきです。板倉さんのマネをしようと思っても,私にはどこをどうマネしていいのか,さっぱりわからなかったのです。もちろん,野戸谷さんのマネですら,よくわからなかったわけですが,「もしかしたら,これをキッカケに,自分にもたのしい研究ができるかもしれない」という気持ちがわいてきて,すぐ野戸谷さんに「それはすばらしいアイデアだね」と返事をしました。

 「小出さん,だれのマネをしたらいいと思う?」

 「そうだなぁ……」

 「ボクはね,宮地さんが気になっているんだけど……」

 「うんうん,宮地さんの話は,私もぜひ聞きたいなぁ」

 「それでね,宮地さんを北海道に呼んで,研究会を開こうと思うんだけど……」

 あまりにも急な話の展開に,ずいぶんとビックリしましたが,北海道で宮地さんの話が聞けるなんて夢のようです。自分にどんなお手伝いができるのかさっぱりわからなかったのですが,この会に向けてとにかく動きだすことにしました。

 「北海道仮説実験授業合宿研究会」と銘打ったこの研究会は,その年の6月に旭川で行われました。参加者のレポート発表と宮地講演の2本立ての内容の会だったのですが,主体的に宮地さんのマネをするために,と思って,〈授業記録ではないレポートを書こう〉という束縛を自分にかけました。そうしてできたレポートが,以下に紹介する「巨大な知恵の輪 U君を救え!」 です。



巨大な知恵の輪
U君を救え!

小出雅之

 ここは,とある小学校の1年生の教室。6月のある日,事件は突然起こりました。みんなで「こくご」のお勉強をしていると,「先生!U君が大変だ!」と,となりに座っていたMちゃんがさけびました。先生が声のするほうを見ると,なんとそこには,イスのせもたれのところにはさまって苦しんでいるU君のすがたがありました。

椅子にはまったU君  先生は「まったくしょうもないやつだ」と思いながら,冷たく「がんばればとれるでしょう」とU君に声をかけ,お勉強をつづけました。しかし,U君は必死になってもがいていましたから,まわりのお友だちも気になってしかたがありません。「どれどれ……」先生はU君のところにいってみたのですが,頭がつかえていて,どうがんばってもぬけそうにありません。いきなり教室に巨大な知恵の輪が出現したのです。

 先生は,U君がはさまっているイスを,よく観察してみました。すると,イスの端の方がゆるくカーブしていて,まん中よりすきまが多いことに気がつきました。「ははぁ,ここからはまったんだな!」先生はU君の頭を端の方へよせ,後ろから引っ張ってみました。ところが,やっぱりぬけません。ここでU君,メソメソと泣き出してしまいました。


うえから見たイス

 「頭がつかえて引き抜けないなら,前に進むしかないな」
 先生は「U君,前に出てごらん」と声をかけながら,今度は頭の方から引っ張ってみました。ところがところが,やっぱりぬけません。胸のあたりがつかえてしまって,U君はとても苦しんでいます。


苦しんでいるU君



 「こうなったら,イスをこわしてしまおう」先生はドライバーとハンマーを持ってきて,イスをこわしにかかりましたが,イスはとってもがんじょうにできていて,まったく歯がたちません。先生は「どうしたものかなぁ……」と,頭をかかえてしまいました。

 さて,ここでみなさんに質問です。


【質問1】
 みなさんが先生だったら,こんなときどうしますか。U君を救い出すには,どうしたらいいでしょう。





【質問2】
 苦しんでいるU君に声をかけるとしたら,なんといいますか?





 先生が途方にくれていると,イスにはさまりながらも,U君がひとりでうろうろ動き出しました。その様子をぼんやり見ていると,突然先生の頭に,

押してもダメなら引いてみな
それでもダメなら回すんだ
(板倉聖宣著『発想法かるた』仮説社)

という言葉が浮かんできました。そうです,回せばよかったのです。

回してみな

 イスを持ち上げ,はいつくばっていたU君を立たせバンザイをさせると,スルスルッとイスはU君の体をすりぬけて床に落ちました。


めでたし


メデタシメデタシ

 〈授業記録ではないレポートを書こう〉という束縛をかけたはいいものの,いったいどんなレポートを書いたらいいのか,ちっとも思い浮かばないまま,研究会が迫ってきました。そんなとき,私の担当する学級で,このような事件が実際に起こりました。「これだ!」と思ってすぐに書いたのが,この「U君を救え!」です。「板倉さんの発想法を使って,具体的な問題を解決することができた」「私にも板倉さんのマネができた」ということに興奮して書いたのを,今でも覚えています。

●ローリングポール

 研究会では,この「U君を救え!」の資料発表にもドキドキしましたが,宮地さんの〈ころりん〉を実際にやりながらの講演が,とびっきりたのしかったです。そして,〈ころりん〉で使っていたフィルムケースの実験道具にヒントを得て,研究会の後で,「ローリングポール」なるおもちゃを開発しました。これが私の楽知ん研究第1弾です。「ローリングポール」のレポートは,予定の15号を終了しても,そのたのしさの慣性のためか発行が続けられていた「楽知んMEMO」の++(プラスプラス)号に掲載してもらえることになりました。「たのしい本だなぁ」と評価していた本に,自分の原稿が載るなんて夢のようでした。


●フツーの人を意識して

 宮地さんを招いての合宿研究会をさかいに,私の書くレポートはずいぶんと変わってきました。「楽知んMEMO」に載せてもらえるような,フツーの人に読んでもらえるような,そんなレポートを書こう,という意識が出てきました。授業記録についても,それまでの「受け持ちのお子さんが読者」という枠を越え,「少しで多くの人に読んでもらえるように」という意識で書くようになりました。


●〈ころりん〉へのお誘い

研究会から1年ほどたったころ,突然宮地さんから電話がきました。

  「今度〈ころりん〉を単行本にしようと思うのですが,小出さん,絵を描いてくれませんか?」

 私はもう,驚くやらあきれるやら……。「絵を描いてくれ」などと声をかけてくれた人など,私の人生でただの1度もありません。「私の絵は,あの「ローリングポール」に描いた,あんな絵ですよ。どなたかと人違いをされているのでは?」「いえいえ,あの絵です。〈U君を救え!〉の絵の感じで描いていただけないでしょうか?」なんと宮地さんは,私の絵の実力をちゃんと知っていながら,大胆にも依頼しているのです。チャレンジャーですねぇ(笑い)。「はたして自分にそんな仕事ができるのか?」ということは,もちろん思いましたが,宮地さんの仕事の進め方をじかに知ることができるわけですから,これは願ってもないチャンスです。これをのがしたら〈宮地さんと一緒に仕事ができる〉なんてチャンスはやってきそうもありません。大いなる不安を持ちつつも結局好奇心のほうが勝ち,「あんな絵でよかったらやってみます」と返事をしてしまったのでした。



●〈ころりん〉の仕事

 こうして宮地さんと私の共同作業が始まりました。基本的には,〈宮地さんの原稿にあわせて,私が絵を描き加えていく〉という作業だったのですが,ときには,〈私が描いた絵によって宮地さんが文章を変えていく〉ということも起こりました。データのやりとりや作業の打ち合わせは,主にパソコン通信の電子メールを使って行いました。野戸谷さんや宮地さんに刺激されて,私もMacintoshを買って,宮地さんの使っているソフトもそろえていたので,データの交換がとってもラクにできました。それよりなにより,宮地さんと私の仕事のリズムが,妙にうまく合うのです。「そろそろ次の仕事かな?」と思うころに,タイミングよく宮地さんから新しい冊子が送られてきます。「どんな風になったのかな?」とワクワクしながら冊子を開くと,決まって「へぇ〜っ」と感心させられることがありました。そんな感想を電子メールで送るのですが,すると宮地さんは必ずコメントを寄せてくれます。すると,作業する意欲がど〜んと増え,冊子をもとにして,新しいカットを描いて送るのです。

 カットが届くと,宮地さんからまたまた電子メールが届きます。それは,カットへの要望だったり,内容の相談だったり,といろいろなのですが,「確実に仕事が積み上げられているなぁ」という実感を,いつも持ち続けて仕事をすることができました。これは,「目に見える形で研究成果をまとめる」という板倉研究法を宮地さんが意識していたからにほかありません。作業の要所要所では,パソコンのデータではなく,コピーして作った冊子を,宮地さんは送ってくれました。「研究成果は本にする」という,さらに具体的な研究方法を,宮地さんの仕事を通して感動をもって知ることができました。



●楽知ん大学生→楽知ん研究人

 楽知ん絵本『お茶の間仮説実験 ころりん』は,1995年の6月に完成しました。その年には,私は非週末の職場を離れて,現職派遣の制度を利用して,大学で1年間過ごしました。この1年間は,実にさまざまな人と会う機会があったので,秋ごろには100冊送っていただいた『ころりん』は,すべて売り切ってしまいました。

 大学に行こうと思ったのは,「研究の時間をたっぷり取ってみたら,今までできなかったような研究ができるかもしれない」と思ったからです。私は,自ら「楽知ん大学生」と名乗って研究をたのしみました。また,〈楽知ん講座〉と銘打って,月に1度,自主講座もやってみました。7月からは,宮地さん発行の『楽知ん研究MEMO』がスタートし,この期間につくったレポートのいくつかを載せていただきました。また,旭川仮説サークルのガリ本『たの丼』も,11月に完成させることができましたし,大学に提出した論文「不登校と〈たのしい授業〉」を中心に,楽知ん大学生の1年間をまとめた『楽知ん大学生』というガリ本もつくることができました。もうこのころは,「趣味は研究です」と平気で人に話せるようになっていました(笑い)。

 大学での1年間が終わり,職場に復帰したのが1996年4月のこと。それまで1年間使っていた〈楽知ん大学生〉の肩書きは,もう使えません。そこで,宮地さんが使っていて,私も以前に使っていた〈楽知ん研究所研究員〉という肩書きに戻そうとも思ったのですが,もう少しすっきりしたものはないかなぁ……と考えていたら思いつきました。〈楽知ん研究人〉です。『楽知ん研究MEMO』1号には,「楽知ん研究者宣言」が載っていますが,私には「研究者」という響きがカッコよすぎて照れてしまうので,宮地さんが「楽知んMEMO」で使っていた「編集人」という言葉にヒントを得て,「研究人」という言葉を考えたのです。




 以上,私が〈楽知ん研究人〉と名乗るまでの経過をまとめてみました。これからもフツーの人によろこんでもらえるようなテーマを見つけて,たのしく研究を続けていきたいと思っています。
おしまい