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仮説実験授業は学校制度の枠を必然的にはみ出してゆく


仮説実験授業 エンターテイメント化計画
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「科学」の語源と「楽知ん」
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楽知ん研究所〜楽しい科学の伝統にたちかえろう
楽知ん研究人宣言
宮地祐司


 1963年に板倉聖宣氏によって仮説実験授業が提唱されて以来,仮説実験授業は主に学校の授業として行なわれてきた。しかし,仮説実験授業は“授業”と名づけられてはいるが,その原点は近代科学のはじまりにある。近代科学のはじまり(1600年代頃)は,学校教育制度として授業がはじまる(1800年代後半)ずっと前のことである。ガリレオ(1564〜1642)やフック(1635〜1703)が活躍していたアマチュアリズムの脈打つ「たのしい科学」の伝統を仮説実験授業は直接引きついでいるのだ。ということは,学校の授業としてではなく,学校の外でも仮説実験授業をたのしめることは原理的に自明である。

 しかし,現実的にはどうであろうか。よ〜く,考えてみてほしい。学校の授業としてならまだ耐えられた授業も,卒業した後でも「もう一度,うけてみたい」なんて授業が現在の学校教育の中で存在するだろうか。試験もなく,進級とも卒業とも進学とも無関係,ましてやお金を払ってまでもとなると……。ところが,仮説実験授業なら,それが可能なのである。その具体的な実験結果も少しずついろいろな形で出はじめている。

 学校教育という限定された条件下で仮説実験授業のたのしさが証明された現在,今後は一般の社会へ,仮説実験授業とその思想は広がっていくに違いない。普通の人々が本当に学ぶに値するいろんなたのしいテーマが発見され研究され,蓄積されていけば,現在の教育観・学問観・文化なんてひっくりかえっちゃうかもしれないね。

 そんな普通の人々に耐えることのできる「たのしい知」……これを「楽知ん」という愛称で呼んじゃおう!……の発見,発明,評価をすることができたら,こりゃ,たのしいに違いない。しかし,研究はその個人の問題意識が非常に大きなウエイトをしめるには違いないけれど,1人じゃできない。研究する意欲というのは,とっても社会的なものなのだ。他人が評価してくれてはじめて,その研究の意味がわかったり,まとめるキッカケができたり,自分の仕事を高く評価できるようになる。やっぱり誰かにホメてもらうと,やる気になっちゃうよね。人の仕事をいち早く評価することは,どんな研究より価値があるのかもしれない。そんな楽知んな研究をしていくためには,社会的な研究ネットワークが必要不可欠だ。

 現在,科学研究はほとんど職業科学者によっておこなわれている。しかし,近代科学のはじまった頃は,科学は職業としてではなく「知的エンターテイメント」としてアマチュアによるアマチュアのための道楽としておこなわれていた。当然,経済的時間的にゆとりのある貴族階級を中心に楽しむためのものであった。だから,もし我々がその時代に生まれていても,科学をたのしめるなんていう立場にいた人は,ほんの一かけらの人間だけであっただろう。

 一方,現在では,科学者というのは職業として成立している。職業研究者になることは,ほんの一かけらの人間の特権ではなくなった。しかし,科学が職業化することによって,たのしい科学の伝統は,全く断ち切れてしまったように見える。とても素人に耐えることのできるものではなくなってしまった。

 ここで,我々は,普通の素人による普通の人々に耐えることのできる〈楽知ん〉を研究する時代が,人類の歴史はじまって以来はじめておとずれたのではないかと考える。昔の貴族階級とは比べものにはならないけれど,現在の日本では,ごく普通の人々に経済的,時間的なゆとりが生まれ始めている。食うだけに働くだけでない時代になっているのだ。そこで,〈週末の楽知ん研究人〉という概念を提案したい。そして,その〈楽知ん研究人〉が集まる「楽知ん研究所」というネットワークをつくってしまったら,楽しいではないか。非週末はそれぞれの仕事を持ちながらも,日々の仕事が終わってから,あるいは週末の休日は,自分は「楽知ん研究所の研究員である」と自覚的に考えてみよう。〈週末の楽知ん研究人〉として,1600年代からのイギリスの楽しい科学の伝統を復活させようというわけである。

 これは,とてつもないことではない。もうすでに板倉聖宣氏が提唱した仮説実験授業とそこから広がる思想の成果が蓄積されている。そこに付け加えていくだけである。その上,現在ではパーソナルコンピューターをはじめとして,大資本がなくても,出版や情報のネットワークが素人にも簡単にできる時代になってきている。けっしてとてつもないことではないのである。「楽知ん研究所」といっても,実際に建物があるわけではない。しかし,パソコン通信などを使えば,家にいながら,毎日でも「楽知ん研究所のインフォーマルなセミナー,おしゃべり」に参加することは可能なのだ。

 問題意識のユニークな人,評価するのがうまい人,ものをよく知っている人,全く知らない人,常識はずれの人,普通の人……あなたの個性そのもの,それが「楽知ん研究所」の生産手段なのだ。あとは,この選択肢に,あなたが○をつけるかどうかである。それはあなた自身の問題だ。

 あなたもいっしょに楽知んしませんか!?

(1994.7/1995.7改訂)

 楽知ん研究者宣言は,もともとは,1994年7月に,はじめて楽知んネットを開催するにあたってまとめたものです。そのほとんどは,1991年の8月に新潟の細井心円さんの東養寺でおこなわれた「ころ・らでぃ・みけ学会」(学校外で仮説実験授業を楽しんでいた若者たちの集まり)の開催ビラに私(宮地)が書いたものです。1994年7月のものは「楽知ん研究所宣言」だったのですが,1995年7月に「楽知ん研究者宣言」と変更することにしました。そしてさらに「楽知ん研究人宣言」変更しました。

 週末の楽知ん研究者という選択肢に○をつけたい方は,どうぞいっしょに楽知んしましょう。