仮説実験授業
エンターテイメント化計画

渡辺 章


 この計画は,今は学校の授業として主に行われている「仮説実験授業」を一般の人々にも楽しむことができるようにしてみようという,一つの提案です。仮説実験授業そのものをどうこうしようといったものではありません。

 ここでは,仮説実験授業を,見せ物,つまり「エンターテイメント」の一つとしてとらえてみようと思います。

●ちまたのエンターテイメントについて考える

 エンターテイメントといってもかなり幅があります。演劇,コンサート,ミュージカル,寄席,映画なんかはそうでしょう。それと,プロスポーツのほとんども含まれると思います。つまり,お金を出して見に来る「観客」がいるものは,すべてエンターテイメントなんじゃないかと思います。

 あと,「大道芸」というものがあります。道ばたで芸や演奏をして,道行く人の足を止めて,見ていただくという方法です。これは,お金を取っても取らなくてもどちらでも良いわけです。ものを売るでもなく,決まったお金を取るというわけでもありません。そこでやっている演者が満足できればよいわけで,かなり自己中心的な見せ物です。こういう形でもエンターテイメントといえるでしょう。

 さて,そんな感じで,エンターテイメントというものを理解していただいてですね,仮説実験授業を学校の授業ではなく,純粋にエンターテイメントとして考えてみようというわけです。

●ちまたのエンターテイメントと仮説実験授業の比較

 仮説実験授業の提唱者の板倉さんが言っていたように,「昔,科学は貴族の道楽であった」わけです。きっと,お金だして,科学者呼んで,「なんかおもろいことやれー!」といった感じだったんでしょう。おそらく,当時の貴族達は,芸人と同じレベルで科学者を呼んで,楽しい実験を見せてもらっていたのではないでしょうか。つまりは,その楽しい科学の伝統をひきついでいる仮説実験授業はもともと,「他のエンターテイメントと,互角に渡り合っていけるだけの魅力を持っている」のだと思います。

 授業書を一つやるとすると,ちゃんとやれば,1時間や2時間は軽く越えてしまいます。他のエンターテイメントではどうでしょうか? 1時間や2時間,観客の目を釘付けにできるものはそうそうないでしょう。プロスポーツや,演劇,映画なんかは,そのくらいいけますが,逆に言えば,それらと同じくらいおもしろい,それらと同じくらい経済的な波及効果が期待できるということがいえると思います。

 なおかつ,仮説実験授業のすごいところは,他のエンターテイメントは,見て楽しむだけの場合が多いですが,観客が直接に参加して楽しむことができてしまうところにあります。手品などは部分的に参加できたりしますが,あくまでも「部分的に」だけです。しかも少人数のお客さんだけです。コンサートでも,ミュージシャンと一緒に会場全体で歌ったりして参加できますが,そういうのがなくたってコンサートは成り立ちます。ところが,仮説実験授業は,最初から最後まで観客に参加してもらわないと成り立ちません。もちろん,他と同じように,見てるだけでも楽しめます。何も,意見を言ってもらわなくても,予想に手を挙げるだけでも楽しんでもらえます。でも,手を予想に上げるだけでも,参加している感じは味わえます。

●エンターテイメントとしての仮説実験授業

 それでは,なぜ,仮説実験授業を改めてエンターテイメントとしてとらえようとするのか? 結論からいうと,「その方が断然,楽しいから」です。

 「歌手」という人がいます。自分で曲を作るのは,才能のある人にしかできないのですが,すでにできている曲ならば,まねして歌うことはできます。ただ,歌うにしても,人によってうまい人もいるし,下手な人もいます。いっぱい練習して歌がうまくなってくれば,人前で歌って,それで稼げるようになったりします。つまりは,エンターティナーになるわけです。

 それと同じように,仮説実験授業の授業書一つ一つを,歌手でいう「曲」に当てはめると考えてみます。(落語ならお話,ミュージカルなら演目,スポーツならテニスや野球など) するとどうでしょう? とたんに仮説実験授業が,エンターテイメントとしてやっていけそうな気がしてきませんか?

 ですから「曲」(=授業書)はもうすでに,たくさんできているのです。あとは「歌手」がいればエンターテイメントになるのです。仮説実験授業は,誰がやっても成功するということは,すでに実験結果として分かってます。しかし,これは,すでにある歌を聴いて,覚えて歌ってるレベルなんです。ですから,もう少しつっこんで,「歌手」になれるような人々を育成していければ,もっとおもしろくなるとは思いませんか?

 つまり,必要なのは,「エンターティナー」だと思うのです。これはどういうことかと言うと,「授業書のプロフェッショナル」の育成ということです。

●繰り返し行うことによってできる「余裕」を使って

 ある授業書だけを延々と,何回も繰り返して行います。するとどうなるか?

 すべての段取りが頭に入って,もー何も考えずとも,次にやるべきことが自然とわかり,体が勝手に動いてくれるようになります。そうなると,余裕が出てきて,それとは別のことに頭を使えるようになると思います。

 繰り返しやっていれば,観客の予想や,意見なんかも,おおよそ見当がついてきます。授業書というのは,そのように作られているので,自然とそうなるはずです。そうなると,観客をより,エキサイトさせるような発言もできると思います。

 どういうことかというと,観客の予想が偏ってしまったりしたときにわざと,迷わせるような発言をしてみたりするのです。これは,当然,偏ってもいい場面というのがでてくるのですが,逆に,意見が分かれたほうがより,おもしろい場面というのもあると思います。

 そんなときに,「あれ?ホントにそれでいいの?」というような感じで観客を「あおる」のです。発言が少ないようなら,「あーも考えられる,こーも考えられる……」というように,観客を惑わせてやります。この発言だって,キメゼリフのようにいくつか用意しておいて,状況を見ながら,選んで言えばいいだけです。でも,これも,あまり誘導的になってしまうのは問題があると思いすけど。

 全体の流れに影響のないようなところで,こういった「味付け」をしてあげると,より楽しんでもらえるんじゃないかなぁ?

 そろえるべき道具なんかも,繰り返してやっていれば,最低いるもの,いらないものがフルイにかけられ,極めてコンパクトになっていきます。その道具だって,何度も繰り返して使われるわけですから,お金と時間をかけた道具を用意したって(作ったって),元は取れます。

 そうやって,全体に余裕が出てくれば,いろいろ凝ることができるようになったりもします。ちょっと,今考えつく物をいくつかあげてみます。


  • 実験道具に装飾してみる
     例えば,バネばかりはより見やすいものを選んで,周りに装飾してみたりとか。薬品などを使う場合も,試薬のビンをそ のまま出すのではなく,別の容器に移し換えて,読みやすい,きれいな,かわいらしいラベルを貼ってみるとか。
  • BGMをつけてみる
     問題を読むときのBGM」「実験をするときのBGM」「お話を読むときのBGM」などなど,その過程ごとにBGM を付けたりすると,全体にメリハリがでてこないかねぇ?
  • 実験する前はみんなで「合い言葉」を言ってみる
     これをやると,実験をしたあとの「わあー!」という感じがよりいっそう引き立ってくるような気がするのですけど…?


 そんな風に,エンターテイメント性を,もろに前面に押し出したような作りにしてしまうのです。

●授業書のプロフェッショナルの誕生!

 そうやって,ある授業書のプロフェッショナルが誕生したとします。みんなからは,「あの授業書をやらせたら,あいつの右に出る奴はいない」とまで言わせるくらいのプロです。そこまでくると,口コミやら,評判やらで,あちこちから「あの授業書を是非うちで」なんてお声がかかったりするかもしれません。

 それだけで全国を巡業してもいいかも。





仮説実験ライブ!!
全く新しい,サイエンス・エンターテイメント!!
○山×太郎 PRESENTS ものとその重さ

 身近にある,ごくふつうの道具を使って,全く新鮮な驚きを提供してくれます! 次々に出される問題にあなたは何問正解できますか?
 今までにない,「観客参加型・サイエンス・エンターテイメント」によって,あなたのノーミソを,ブルブルさせます!!

日  時 ○月○日〜○月○日
場  所 ○○○市民体育館
開演時間 10:00〜  2:00〜  5:00〜
入場料金  S 席  4000円 A 席  3000円 自由席  1500円

★詳しくは,チケット・ぴあ,チケット・セゾンにて。


 なははぁ〜んてねっ!! 授業書のプロも,もちろん授業書一つだけに限らず,いくつもできてもいいわけです。つまり,「もちネタ」がいくつかあっていいわけです。

 そうやってですね,我々が,授業書のプロをたくさん育ててですね,そのプロを10人くらい集めてですね,武道館とか,東京ドームでライブを行うわけですよ。これは,各界のトップアイドルを集めてコンサートをやるようなもんですから,そりゃあ盛り上がります。こんな風になったらすげーなあ。

●おわりに

 後半は,かなり大風呂敷なんで,眉にたっぷり唾つけて読んでいただきたいのですが,こうやって考えると,学校の中で授業としておこなわれている仮説実験授業より断然おもしろくなりそうだとは思いませんか? この考えで行けば,大道芸としても通用するし,実演販売も兼ねることもできます。(関連する実験道具やおもちゃ,その授業書のミニ冊子を売ったりするわけ)

 授業書を行う上での注意事項,思想,やり方などは,今まで通りでいいのかと思います。それらの「枝葉」の部分で,いろいろ楽しめればなーと考えています。でも,「教師と生徒」という関係ではなくしたいです。「演者と観客」または,「ちょっと物知りでアヤシゲなおにーさん,おねーさんと一緒に遊ぶ人々」とかね。

 それと,最後に一つ言っておきたいのは,授業を行う人は「教師」や「教師かぶれ」が行うのではなく,あくまでも「エンターティナー」が行っているんだという自覚を持つことが大事だと思います。これはちょっとした考え方の違いだと思われるかもしれませんが,実は大きな問題だと思っています。

 学校で行われている仮説実験授業と比べたら,こっちの方がおもしろいよねえ。いずれみんながこの考えになるに違いないでしょう。でも,ひょっとすると,仮説実験授業研究会とかから苦情が出たりするかもしれないけど(「そんなのは仮説実験授業じゃない!」とかね),文句はぁ言わせません。何しろ,より,本来の科学である「知的エンターテイメント」に近づくことになるはずですから。

 で,もしこんな考えで進めていくなら,「仮説実験授業」という名前は良くないですね。何しろ,僕らがやろうとしてるのは「授業」じゃないからね。だから,「大道仮説実験」とか,「サイエンス・エンターテイメント」とかなんか新しい呼び方を考えないといけないかも。

 その昔,「一瓶百験」という実験を公園とかでしていた人がいたとか。道ばたで,道行く人を呼び止めて,「ちょいと,にーさん,この変わった形のビンを使ってこぉんなことしたらどうなると思う?」なんて感じで実験を始めていって,にーさんも「ふん,ふん」なんて調子に乗って聞いていると,いつのまにか,周りに20人くらいの人だかりができてしまっている……。そんな感じのことが,現代でもできるようになれると素晴らしいと思います。いや,必ずできると思うなあ。そんな,夢を見つつ,このレポートを終わりにします。
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