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「科学」の語源と「楽知ん」
宮地祐司
●「科学」という言葉のイメージ

 あなたは,「科学」という言葉から,どんなイメージを思い浮かべますか?

 かつてボクが出版していた『楽知ん研究MEMO』という雑誌の表紙には
「道楽として科学をたのしみたい人々の」
というサブタイトルがついていました。今までの「科学」というイメージからすると,この冊子に掲載されているレポートは,「いったい,どこが科学なの??」と思われるようなものも多いのではないでしょうか? 一般に普通に使われている「科学」という言葉とはイメージがかなり食い違っています。

 このことに関連したことを,「イギリス・アイルランド旅行記」(『楽知ん研究MEMO/2』)の中で,塚本浩司さんはこう書かれています。


 実際,板倉聖宣さんは,「このころ(宮地注:1600年代のイギリスの王認学会を中心にアマチュア科学者たちが活動していた時代)の科学こそが本来の科学の姿であって,後に大学や国をあげて行われる〈体制化された科学研究〉は,本来の姿ではない」とまで言い切っております。そして宮地祐司さんは,この科学のアマチュア主義を板倉科学史の第0番目として定義しています(注1)。実際,王認学会成立期の科学を「本来の科学の姿」だとして捉える科学史家は板倉さん以外にはいないようです。普通の科学史家は,体制化される以前の科学を「未熟な科学」としてとらえているようです。
(『楽知ん研究MEMO/2』「イギリス・アイルランド旅行記」38ページ)

 この板倉科学論(板倉聖宣さんの科学論,認識論をこう呼ぶことにする)でいう「科学」というイメージは,1600年代のアマチュア主義にもとづいた「知的活動」を一番もとにしているとボクは思っています。


●「科学」という日本語はいつできたか?

 では,いったい,「科学」という訳語は日本ではいつできたのでしょうか? あるいは中国から輸入された言葉なのでしょうか?

 「科学」というのは,明治初期に「science」(サイエンス)に対して日本でつくられた造語です。

 この「科学」というのは,文字どおり「科」の「学」。外「科」,内「科」,小児「科」,産婦人「科」の「科」です。つまり個別の「科」に分れた,専門分化した学問という意味でしょう。それに対して,個別ではない「百科」の学問を「哲学」と呼ぶ……というのが,板倉科学論の定義だと思います。

 『科学史技術史事典』(弘文堂1983 縮刷版1994)にも,「科学」の項目(担当:村上陽一郎)に,1800年代の後半には,ヨーロッパでの「science」は,物理学,化学,生物学……経済学などに専門分化していった状況を指摘した上で,

 「日本語の「科学」すなわり,諸々の「科」に別れた「学」問という訳語は,そうした19世紀後半のヨーロッパの学問状況を正確に反映した意味をもつものと言える」

と書かれてあります。

 一方,1600年代のアマチュア主義にもとづいた「知的活動」は,けっして専門分化した「科」学ではありませんでした。ロバート=フック(1635〜1703)を見ても,現在でいう物理学,化学,生物学,地学etc.のいろんな分野のことを研究しています。(もちろん,当時はphysics(物理学),chemistry(化学),biology(生物学),geology(地質学)という言葉もなかった)

 それに今でいう自然科学だけをさしていたわけでもないようです。その証拠に,そのころの王認学会で最初に出版された本はグラント(1620〜1674)の『死亡表に基づく自然的・政治的考察』(Natural and Political Observations Mentioned in a Following Index and Made upon the Bills of Mortality)という自然科学というより社会科学の本でした(1662)。他にも,ペティ(1623〜1687)の『政治算術』(Political Arithmetrik)という,現在でいえば統計学,数量経済学という分野の本も出版されています。

 1800年後半の「science」は,すでに専門分化した「科」学になっていたので,それをうまく反映した言葉を,明治の初期に日本人が「科学」という訳語を作ったということのようです。そして,中国でも,この日本の訳語が輸入されて,「科学」と言っているそうですので,中国からの輸入語ではありません。



●「science」「scientist」はいつ作られた言葉か?

 それでは,「科学」という訳語のもとになった「science」(サイエンス)自体は,いつごろ作られた言葉なのでしょうか? あるいは,「科学者」という訳語のもとになった「scientist」(サイエンティスト)は,いつ作られた言葉でしょうか?

 「science」というのは,もともと「個別の科の学」という意味はなく,ラテン語の「知る」(scere)に基づいているそうです。たんなる「知識」(scientia)というような意味あいだったようです。英語では,1600年のはじめころ,そのラテン語から由来する「science」という言葉として定着したそうです(注2)。しかし,1660年に成立した王認学会(ロイヤル・ソサエティ)の正式名称は「The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge」(自然の知識の増進のためのロンドン王認学会)で,ここには「science」という言葉は含まれていません(注3) 。当時は,王認学会などを中心に行われていた,1600年代の「知的活動」は「science」ではなく,「natural philosophy」(ナチュラル フィロソフィー)と呼ばれていたようです。

 このあたりの事情は,『たのしい授業』(1989.1月号 No.72 仮説社)の板倉聖宣「学問と科学と哲学と」に詳しいので,一部(13ページ)を引用します(注4)。


 コペルニクスやガリレオを初めとする近代の科学者たちは,「古代・中世にもっとも権威のあったアリストテレスの哲学は根本からして間違っている」ということを実験的に明かにしてしまったのです。そこで,アリストテレスの哲学の権威は地に落ちましたが,近代の科学者たちは,それに代わる自分たちの学問のことを「science」とは呼ばずに,「experimental philosophy」だとか「natural philosophy」と呼びました。じつは,そのころすでに「science」という言葉もあったのですが,「science」というのは,もともと「知ること」といった意味しかなく,「learning」と同じような意味しかなかったのです。そこで,近代の科学者たちは,それよりも「論理的な体系性をもった自然観」としての「philosophy」という言葉に魅力を感じたのでしょう。「experimental philosophy」なら,それがアリストテレスの古い philosophy とは違って,それが実験的で論理的な学問であることが分かるし,「natural philosophy」なら「アリストテレスほど大風呂敷ではなく,自然現象だけを対象にして着実に論理的に研究された学問」ということになるので,そのほうに魅力を感じたというわけです。

また「scientist」(サイエンティスト)という言葉は,イギリスのヒューエル(1794〜1866)(注5)が1833年に提唱した造語(注6)だそうです。ということは,それ以前には「サイエンティスト」は存在していなかったことになります 。

 では,それ以前のガリレオ(1564〜1642)やフックは何と呼ばれていたんでしょうか? もちろん,当時は「サイエンティスト」という言葉は存在してませんので,日本語でも「科学者」と訳すのはおかしいということにもなります。

 彼らは「natural philosopher」(ナチュラル フィロソファー)と呼ばれていました(注7)。

 1800年の半ばころから,科学は専門分化し,「科」の学となり,大学でも「科学」を教える学部が出現するようになります(注8)。

 結論をまとめると……「science」という言葉はずっと「知識」という意味で使われていて,ガリレオやフックのやっていた営みは「natural philosophy」とか「experimental philosophy」と呼ばれていた。それが,1800年の半ば頃には,かつて「natural philosophy」と呼ばれていた営みが専門分化してきて,「science」という言葉を,現在の「科学」という意味で使うようになった。そして,それを担う人々を呼ぶ言葉である「scientist」が造語された。日本ではその「science」にもとづいて「科学」という訳語が作られた……ということになります。



●板倉科学論での「科学」のイメージ

 現在,日本で普通に使っている科学という言葉は,1800年の半ばに生まれた「サイエンティスト」がやる「サイエンス」から発展している科学のイメージだと思います。科学教育という場合の「科学」も,普通はそういうイメージでしょう。

 しかし,板倉科学論そして,そこから提唱された仮説実験授業でイメージされる「科学」は,明かにその流れにないようにボクには思えます。その「科学」は,「science」ではなく「natural philosophy」の方を直接ひきついでいると言ってもいいとボクは思っています。

 今までの流れをもう一度,図に整理してみましょう。
●訳語の整理

 日本語では,
science → 科学    scientist → 科学者
と訳されています。一方,
natural philosophy → ?   natural philosopher → ?
をさす日本語はあるのでしょうか。普通では,「natural philosophy」は「自然哲学」,「natural philosopher」は「自然哲学者」と訳されたりしてますが,何だかピッタリこないどころか,全くイメージも違ってきてしまいます。

 江戸末期,明治初期には「natural philosophy」の訳語として「窮理(きゅうり)学」という言葉もありました(注9) 。江戸時代の後半には,橋本宗吉『阿蘭陀(おらんだ)始制エレキテル究理原(きゅうりげん)』(1811),新宮(しんぐう)凉庭(りょうてい)『窮理外科則』(1816),帆足(ほあし)万里(ばんり)『窮理通』(1830)など「窮理」のついた翻訳書が出された。明治初期にも福沢諭吉『(訓蒙(きんもう))窮理図解』(1868)をはじめとする窮理書が盛んに翻訳されています。しかし,その後は,窮理学という言葉は立ち消えていってしまったようです。「窮理」というのは,もともとは中国の易学からの言葉だそうで,本来の意味とは違うけれど,それを転用しただけということのようです。

 したがって,「natural philosophy」「natural philosopher」というこれらの言葉には,どういうわけだか,キチンとした日本語の訳語がないようなのです。これは前の塚本さんの引用した文章から,もう一度引用を繰り返すと,


 実際,王認学会成立期の科学を「本来の科学の姿」だとして捉える科学史家は板倉さん以外にはいないようです。普通の科学史家は,体制化される以前の科学を「未熟な科学」としてとらえているようです。

ということによるのでしょう。いわゆる科学史の専門家にとっては,「science」成立以前のことは,あまり意味がないのかもしれません。

 でも,ボクたちは,natural philosopher たちの楽しい「知的活動」にこそ興味があるわけです。
そこで,
natural philosophy → 楽知ん

natural philosopher → 楽知ん研究者
と整理すると,我田引水のようですが(^^;),非常に納得がボクはいくのです(^^;)。「philosophy」の語源は,ギリシア語の「知」(sophia)だそうです。philo-は「愛する」という意味なので,「philosophy」=「愛知」ということでしょう。自分で愛していただけではしょうがないので,それが誰もが実験的に納得でき,楽しめるような形にしたものが,「natural philosophy」であると位置づければ,「楽知」というのはピッタリの訳語です。その愛称が「楽知ん」(注10) ですから,なかなかではないですか!(^^;)

 いかがなものでしょう。

 ボクは,「科学」という訳語をやめて新しい訳語をつくるべきだとは思っていません。まして,「楽知ん」に変えよう!と提唱するつもりも全くありません(^^;)。(注11

 しかし,日本で科学と呼ばれているものの歴史には,こういう複雑な?事情があることは理解しておいた方がいいでしょう。「楽知ん」という言葉をわざわざ作った意味を根源的に問い直し,歴史的な流れにどう位置づけをしたらどうかというところをきちんと確認するために,思いついたことをまとめてみました。
(1995.10.15./11.25.改)
●謝 辞
 このレポートはもともとパソコン通信の「楽知んネット」になにげなく書き込んだボクの発言がもとになっています。その発言に対して,鈴木淳さん,長崎平和さんからすぐに反応があり面白いという評価と,長崎さんからはそれに関連した板倉さんの論文を教えていただきました。それをもとに,今回,まとめなおしてみたのが,このレポートです。本当にありがとうございました。こういう反応がなければ,今回,まとめる意欲ときっかけはつかめなかったと思います。



●注

注1
詳しくは,『板倉聖宣──その仕事』(キリン館1995)の宮地祐司「私的「板倉科学論」の位置づけ」を参照のこと。

注2
『平凡社大百科事典』の「科学」の項には「scienceとは本来ラテン語のscientiaつまり〈知識〉全般を指す言葉から生まれたものと解される。ヨーロッパ語としてはフランス語に取り入れられたのが早く,17世紀初期に英語としても定着した。ドイツ語ではこれにWisenschaftという訳語を当てた。したがって,フランス語圏,英語圏,ドイツ語圏,さらには時代によってもその意味内容は微妙にくい違う。それをすべて〈科学〉と訳す日本の事情もまた考えなければならないことになる」(村上陽一郎)とある。

注3
この指摘は,上記の『平凡社大百科事典』の「科学」の項目にあった。

注4
この論文の存在は楽知んネットの会員である長崎平和さんに教えていただいた。

注5
W.Whewell,The Philosophy of the Inductive Science,Oxford(1837)に詳しく書いてあるらしい。まだ未見である。

注6
『科学史技術史事典』(弘文堂)の「科学者」の項目(担当:成定 薫)には,「ヒューエルは,1833年,従来”自然哲学者”(Natural philosopher)などと呼ばれていた科学研究者を”科学者”(scientist)と呼ぶように提案した」とある。 また,O.E.D.(Oxford English Dictionary)で,scientistの最も古い引用例は1834年であった。

注7
このあたりの事情は,村上陽一郎『科学者とは何か』(新潮選書1994)37〜40ページにも紹介されている。あるいは,村上陽一郎『文明の中の科学』(青土社1994)の科学の誕生の章に詳しい。この著者は,どの本でも同じネタが使われている場合が多い。

注8
上記の『科学者とは何か』の40ページには,「ヨーロッパの大学の中に,「科学」を専門的に教育・研究するための学部が出現するのは,大体19世紀後半であり,例えばドイツの大学では1875年である」とある。

注9
窮理と同じような意味で「格物(かくぶつ)」という言葉もあった。

注10
この言葉は,もともとボクが「たのしい知」と呼んでいたものを畑中貴久子さん(当時,大学生)が「楽知ん」という愛称をつけたことからはじまっている。

注11
たぶん板倉科学論では「科学」の「科」を,「専門分化した」というより,「部分を相手にする」「解ける問題から解く」という方法論的な意味あいをうまく表現しているということで,この言葉の有効性を評価しているのだろうとボクは考えている。板倉さんの研究分野は自然科学から社会の科学まで非常に広く,決して専門分化した「科」の学ではないのである。

 それに,現在でも一流の「scientist」は,アマチュア主義的な「natural philosopher」的な発想をしていることも間違いないのである。